はんこ文化が変わる? ~押印慣行の見直しと電子署名~
弁護士 幸尾 菜摘子
日本では、契約書をはじめ大切な文書には必ず作成者の判子を押すという根強い慣習があります。しかし、今回のコロナ禍によりテレワークが推進されているなか、この押印という慣習が円滑な契約締結等の妨げになっているのではないかという指摘がなされるようになりました。そこで、政府は、本年6月19日、「押印についてのQ&A」を公表し、文書への押印が持つ法的な意味を整理するとともに、文書への押印は常に必要なものではない旨を明らかにしました。本記事では、この「Q&A」の内容を解説し、続いて文書への押印に代わる手段の一つとしての電子署名についてご説明します。テレワーク推進や外出自粛により押印慣行の見直しを検討されている方、取引先から電子署名を求められ困惑されていらっしゃる方のご参考になりましたら幸いです。[1]
1 押印についてのQ&A[2]
文書への押印が裁判でどのような意味をもつか、6つの問いに答える形式で解説されています。
問1.契約書に押印をしなくても、原則として、法律違反にならず有効に契約が成立することが説明されています。誤解されている方も多いですが、法律上、双方の意思が合致すれば契約が成立します。口頭、メールやSNSのやり取りなど方式は問われません。契約書は、あくまで契約が成立したことの証拠として作成するものであり、契約書に押印することが契約の成立には必須の要件ではないとされています。[3]
問2~5.契約書など文書作成者本人の印鑑が押された文書が、裁判で証拠として使えるか否か、民事訴訟法のルールが説明されています。まず、民事訴訟では、真に文書作成者の意思により作成された(これを文書の成立の真正といいます)と証明された文書でなければ、その文書を証拠とすることはできません。とはいえ、訴訟において全ての文書につきこのような証明をすることは大変ですから、民事訴訟の実務では、ある文書に文書作成者本人の印鑑が押されていれば、その文書は本人が作成したものだろうという推定が働くものとして解釈運用されています。また、この“本人の印鑑”はいわゆる実印に限定されるものではなく、認印や企業の角印であっても構いません(ただ、一般的に実印は厳重に保管されており、使用できる人が少ないことから、実印の方が他人による盗用と争われるリスクは低くなります。)。このように、ある文書に文書作成者本人の印鑑が押印してあるということは民事訴訟の場ではそれなりに大きな意味を持つものとされています。しかしながら、これはあくまで推定ですから、他人に印鑑が盗用されたり、偽造された印鑑で押印されたりしたことが証明できれば、その推定が覆り、その本人が作成した書面として扱われません。また、逆に言えば、ある文書に本人の押印が無くとも、押印以外の手段により、真に本人において作成された文書であることが証明されれば、その文書を民事訴訟における証拠とすることは可能ということになります。つまり、もともと民事訴訟の場においても、文書に押印がしてあるということは、絶対的なものとまではみなされていないということになります。
問6.先ほど述べた、本人が作成した文書であることを押印以外の方法で立証するための具体的な例が説明されています。例として、①取引先とのメールやSNS、②運転免許証等による本人確認、③電子署名や電子認証サービスが紹介されています。さらに、①②について、PDFにパスワードを設定してメールで送信し、携帯電話等の別経路でパスワードを連絡する方法や、担当者だけでなく法務担当部長や取締役等の決裁権者をメールの宛先に含める方法が紹介され、また送受信したメールの長期保存によって、本人が作成した文書であることの立証が容易になることも紹介されています。
2 電子署名と認証
電子署名とは、電子文書につき、電子署名の仕組みを提供する業者(認証業者)において、暗号技術を用いて、その電子文書の作成者が誰かを示し、また当該文書が改変されていないかどうかを事後的に検証できるようにする仕組みです。法律の要件を満たした電子署名が付された電子文書については、民事訴訟において押印がある文書と同等に扱われます(電子署名法3条)。
電子文書については改変が容易であり、かつその外観から改変を認識しにくいという問題点がありますが、この電子署名を利用することによりその問題点を克服することが可能となっています。問題は、どのような電子署名であれば法律の要件を満たすかということになりますが、電子署名法は、その電子署名の仕組みが “符号及び物件が適正に管理されることにより、本人だけが行うことができる”ものに該当することを要件としています。しかし、この要件に該当するかどうかを、利用者において逐一判断することは困難です。そこで、国は、法令で定める一定の基準に適合する電子署名の仕組みについて、特定認証業務として認定をする制度を設けています(電子署名法2条3項、4条~14条)。
特定認証業務の認定を受けた電子署名の仕組みであれば、認定要件として電子署名法が定める基準(暗号化や本人確認の方法、セキュリティ、電子証明書など)をクリアしているので、安心して利用することができますが、注意する点もあります。まず、電子署名を行う側は、電子署名を行う前に内容をよく確認し、電子署名を行うための符号は十分注意して管理することが必要です。符号が漏洩等により他人に使用されうる状態になった場合は速やかに電子証明書の失効を認証業者に請求してください。また、電子署名を受け取る側は、受け取った後すみやかに電子証明書が有効で内容も正確か、メッセージダイジェストが一致するかを確認するようにしてください。[4]
また、特定認証業務の認定は不可欠というものではなく、かかる認定を受けていないサービスも “符号及び物件が適正に管理されることにより、本人だけが行うことができる” ものであれば、電子署名として有効で、民事訴訟で押印ある文書と同様に扱われます。実際に、知名度の高いサービスで特定認証業務の認定を受けていないものもあります。利用を検討される際は、当該サービスがどのような仕組みか確認し、不明点があれば提供業者に確認したり、専門家に確認したりすることをお勧めします。
さらに、近時注目されている電子署名サービスで、利用者の指示に基づき、サービス提供事業者自身の署名鍵により暗号化等を行うものもあります。かかるサービスも、“符号及び物件が適正に管理されることにより、本人だけが行うことができる” ものに該当し得ることが、政府が令和2年7月17日に発表したQ&Aによって明確になりました。[5] 当該Q&Aにおいても言及されているとおり、本人確認の方法やなりすまし等の防御レベルなどがサービスによって様々ですので、事前に仕組みを確認し、当該サービスを利用して締結する契約等の性質や、当該サービスの求める本人確認レベルに応じて検討してください
[1] 本記事は令和2年7月22日時点の情報に基づき作成しております。
[2] 令和2年7月17日、総務省・法務省・経産省「押印についてのQ&A」(http://www.moj.go.jp/MINJI/minji07_00095.html)
[3] 事業用定期借地契約など書面が必要な類型も一部あります。
[4] 総務省「電子署名を行う上での注意事項(1)」及び同「(2)」(https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/ninshou-law/law-index_d.html)
[5] 令和2年7月17日、総務省・法務省・経産省「利用者の指示に基づきサービス提供事業者自身の署名鍵により暗号化等を行う電子契約サービスに関するQ&A」(https://www.meti.go.jp/covid-19/pdf/denshishomei_qa.pdf)