トランスジェンダーの職員に対するトイレの使用制限に関する最高裁判決について ~経産省職員事件 最高裁令和5年7月11日判決~

法律コラム

トランスジェンダーの職員に対するトイレの使用制限に関する最高裁判決について ~経産省職員事件 最高裁令和5年7月11日判決~



弁護士 下迫田 啓太

1 はじめに

最高裁判所は、令和5年7月11日、経済産業省に勤務するトランスジェンダー1の職員の女性トイレの使用制限に関して、国の対応が違法だったとする判決を言い渡しました(以下「本件判決」)。本稿では、本件判決の概要をご紹介するとともに、主に企業の使用者側において、留意すべき点などについてご説明します。

 

2 事案の概要

⑴ 当事者

X(原告):経産省に勤務するトランスジェンダーの職員

Y(被告):国

 

⑵ 時系列

本件のおおまかな時系列は以下の通りです。

時期 出来事
H7~ Xが通産省(現:経産省)に入庁。
H10頃~ 女性ホルモンの投与を開始。
H11頃 性同一性障害との医師の診断を受ける。
H20頃 女性として私生活を送るようになる。
H21.7 Xが上司に対し自らの性同一障害を伝える。
H21.10 Xが経産省担当職員に対し、女性の服装での勤務や女性トイレの使用等についての要望を伝える。
H22.3頃 Xはこの頃までに「性衝動に基づく性暴力の可能性が低い」旨の医師の診断を受ける。
H22.7.14 経産省は、Xの了承を得た上で、Xが執務する部署の職員に対してXの性同一性障害について説明する会(以下「本件説明会」)を実施。

Xの退席後、担当職員がXによる同一執務階の女性トイレ使用について意見を求めたところ、数名の女性職員がその態度から違和感を抱いているように見えた。そこで、担当職員は、Xが執務階の1つ上の階の女性トイレを使用することについて意見を求めたところ、女性職員1名が日常的に1つ上の階のトイレも使用している旨を述べた。

説明会後 本件説明会を踏まえて、経産省はXに対し、「本件庁舎のうち本件執務階とその上下の階の女性トイレの使用を認めず、それ以外の階の女性トイレの使用を認める」旨の処遇(以下「本件処遇」)を実施。

Xは本件説明会の翌週から、女性の服装等で勤務し、主に本件執務階から2階離れた女性トイレを使用するようになった。その後、Xの女性トイレ使用により他の職員との間でトラブルが生じたことはない。

H23.6 Xは家庭裁判所の許可を得て名を変更し、職場において変更後の名の使用を開始。
H25.12.27 Xは、職場の女性トイレを自由に使用させることを含め、原則として女性職員と同等の処遇を行うこと等を内容とする行政措置を要求。
H27.5.29 人事院(国)は、Xの上記要求について、いずれの要求も認められない旨の判定(以下「本件判定」)をした。

 

X(原告)はY(国)に対して、本件判定の取消しや損害賠償を求める訴訟を提起しました。

なお、本件の争点は多岐にわたりますが、本稿では、本件判定のうちXの女性トイレの使用制限に関する部分(以下「本件判定部分」)のみを取り上げます。

 

⑶ 下級審の判断

第一審は、本件判定部分について、裁量権の範囲の逸脱または濫用があり違法であるとして、本件判定を取り消しました(東京地裁令和元年12月12日判決)。

これに対して、控訴審は、本件判定部分について裁量権の逸脱・濫用はなかったとして、第一審判決を取り消しました(東京高裁令和3年5月27日判決)。

 

3 最高裁の判断

⑴ 法廷意見(最高裁の結論および理由)

最高裁は、本件処遇(執務階および上下2階の女性トイレ使用の制限)について、「庁舎内のトイレ使用に関してXを含む職員の服務環境の適正を確保する見地からの調整を図ろうとしたものである」と述べて、経産省の対応に一定の理解を示しつつ、他方で、「Xは、本件処遇により、自認する性別と異なる男性用のトイレを使用するか、本件執務階から離れた階の女性トイレ等を使用せざるを得ないのであり、日常的に相応の不利益を受けている」と指摘しました。

その上で、最高裁は、①Xが女性ホルモンの投与を受けていること、②性衝動に基づく性暴力の可能性は低い旨の医師の診断を受けていること、③本件説明会の後、Xが女性の服装等で勤務し、執務階から2階以上離れた階の女性トイレを使用するようになったことでトラブルが生じたことはないこと、④明確に異を唱えた職員がいたとは窺われないこと、⑤本件説明会から本件判定に至るまでの約4年10ヶ月間、本件処遇の見直しが検討されたとも窺われないことを挙げ、「遅くとも本件判定時(平成27年5月)には、Xが庁舎内の女性トイレを自由に使用することによりトラブルが生ずることは想定し難く、特段の配慮をすべき他の職員の存在が確認されてもいなかったのであり、Xに対して本件処遇によるような不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかった」と述べ、本件判定部分について、「本件における具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し、上告人の不利益を不当に軽視するもの」であり、「関係者の公平並びに上告人を含む職員の能率の発揮及び増進の見地から判断しなかったものとして、著しく妥当性を欠く」として、本件判定部分は裁量権の逸脱・濫用があり違法であると判断し、控訴審判決を破棄しました。

結果として、トイレの使用制限に関して、Xの主張を認めた第一審判決が確定しました。

 

⑵ 補足意見

上記⑴の法廷意見は、5人の裁判官全員一致の結論ですが、これとは別に、5人の裁判官全員が補足意見を付しています。

 

4 本件判決の検討および今後の対応について

⑴ 本件判決の射程について

本件判決は、人事院による1つの行政処分(本件判定部分)について、裁量権の逸脱・濫用にあたるとして違法であると判断したものであり、いわゆる性的マイノリティのトイレ利用に関する一般的な規範を示したわけではありません。また、今崎幸彦裁判官の補足意見では、「本判決は、トイレを含め、不特定又は多数の人々の使用が想定されている公共施設の使用の在り方について触れるものではない。この問題は、機会を改めて議論されるべきである」と明言されています。

 

⑵ 性自認に関する法的権利性について

法廷意見では、性自認に関する法的権利性についての言及はありませんが、渡邉裁判官・林裁判官の補足意見では、「性別は、社会生活や人間関係における個人の属性として、個人の人格的な生存と密接かつ不可分であり、個人がその真に自認する性別に即した社会生活を送ることができることは重要な法益」と述べられ、長嶺裁判官の補足意見でも、「自認する性別に即して社会生活を送ることは、誰にとっても重要な利益」と述べられています。裁判所として性自認に関する法的権利性について重視する(少なくとも肯定する)姿勢が窺えると言えます。

 

⑶ 本件における経産省・人事院の対応について

本件判決は、法廷意見・補足意見ともに、本件処遇が開始された平成22年から本件判定に至るまでの約4年10ヶ月(休職期間を除いても約3年8ヶ月)の間、Xによる女性トイレ使用によるトラブル等は特に生じていなかったにもかかわらず、Xが性別適合手術を受けず、戸籍上の記載が男性であることを理由に本件処遇を見直さなかった経産省の対応(不作為)に対して批判的です。Y(国)の敗訴という結論が導かれた理由の一つは、この「経産省の不作為」にあると言えます。

ただし、本件判決は、本件処遇それ自体を違法としたわけではありません。実際、宇賀裁判官の補足意見では、「本件説明会の後、当面の措置としてXの女性トイレの使用に一定の制限を設けたことはやむを得なかった」と述べられています。

 

⑷ 今後の企業実務への影響

上述の通り、本件判決は事例判断であり、判例の射程は限定的と言えます。しかし、性的マイノリティに関する分野では先例が少なく、とりわけ一般企業における職場の職員用トイレや更衣室のように、限られた人のみが使用する空間に関する事案については、今後、本件判決を参照しながら議論が展開されていくことも考えられます。このため、類似の事案が生じた場合には、本件判決を意識した対応が求められると言えます。

従業員から本件と同種の要望等があった場合の対応の一つとして、研修や説明会を実施し、他の従業員らの理解を得られるように努めるという方法が考えられます。ただし、説明会や研修を行うにあたって、使用者は、当該従業員のプライバシーに十分に配慮する必要があります。性的指向・性自認に関する情報は、高度なプライバシー情報であり、使用者が従業員から積極的に収集することは禁じられています(使用者は従業員から任意の提供を受けることができるのみ)。また、使用者や上司による「アウティング」(従業員の性的指向、性自認について当該従業員の了解を得ずに他の従業員に暴露すること)は、パワーハラスメントに該当しますので、従業員から提供されたこれらの情報の取扱いについては十分に注意する必要があります。

また、使用するトイレの指定などの何らかの措置をとった後も、そのまま放置するのではなく、当該処遇の見直しの必要がないかどうか等について、随時、主に客観的かつ具体的な面から、真摯に検討することが重要であると言えます。

使用者としては、個別具体的な事情に即して、難しい対応を求められることもあると思われます。この点に関して、今崎裁判官の補足意見では、「職場の組織、規模、施設の構造その他職場を取りまく環境、職種、関係する職員の人数や人間関係、当該トランスジェンダーの職場での執務状況など事情は様々であり、一律の解決策になじむものではない」、「現時点では、トランスジェンダー本人の要望・意向と他の職員の意見・反応の双方をよく聴取した上で、職場の環境維持、安全管理の観点等から最適な解決策を探っていくという以外にない」と述べられています。

 

5 おわりに

本件判決は事例判断であると言えますが、今後、類似の事案を検討する上で重要な示唆を多く含んでいると考えられます。各企業において、事案ごとの具体的な事情を汲みながら丁寧な対応を継続することが求められると言えます。

 

 

1 トランスジェンダーとは、「生まれたときの身体的性別と性自認が一致しないケース」とされる。本件の原告(X)は、いわゆる「Male to Female(M t F)」、すなわち身体的性別は男性、自認している性別は女性のトランスジェンダーである。

また、LGBTとは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字。クエスチョニングを加えた「LGBTQ」など、様々な派生形がある。近年では、LGBT(Q)に限らず全ての人の性的指向(Sexual Orientation)および性自認(Gender Identity)を表す言葉として、それぞれの頭文字をとった「SOGI(ソジ)」という言葉が用いられることもある。