最近の労働判例(最高裁平成28年2月19日判決)の紹介 〜労働条件の変更に対する労働者の同意の有効性について〜
弁護士 黒栁 武史
この項では、最近の労働判例をピックアップしてご紹介させていただきます。今回は、就業規則に定められた賃金等の労働条件の変更に対する労働者の同意の有効性について判断した、最高裁平成28年2月19日判決をご紹介いたします。
1.事案の概要
本件は、A信用組合の職員であったXらが、合併(以下、「本件合併」といいます。)により、Xらにかかる労働契約上の地位を承継したYに対し、退職金の支払を求めた事案です。
本件合併は、A信用組合が破綻の危機に瀕しており、これを回避するために行なわれたものです。そして、本件合併に際し、Xらは、合併前の退職金規程(以下、「旧規程」といいます。)に定められた支給基準を変更することに同意する旨の同意書に、署名・押印をしておりました。
変更後の規程(以下、「新規程」といいます。)の内容は、退職金総額を従前の2分の1以下とした上で、退職金総額から厚生年金給付額等を控除するというもので、自己都合退職の場合には、支給される退職金額が0円となる可能性がありました。
以上の事情のもと、Xらは、旧規程における退職金の支給基準に基づき、退職金が支給されるべきであると主張しました。これに対し、Yは、Xらに対する退職金の支給基準については、上記同意書を踏まえて定められた、新規程における退職金の支給基準に変更された、などと主張して争いました。
2.原判決の概要
原判決(東京高裁平成25年8月29日判決)は、同意及びこれに基づく退職金支給基準の変更の効力について、概要以下のとおり判断しました。
・ Xらは、Yから退職金一覧表の提示を受けて、本件合併後にYに残った場合の当面の退職金額とその計算方法を具体的に知ったものであり、同意書の内容を理解した上でこれに署名押印をしたのであるから、同意書への署名押印により基準変更に同意したものということができる。
・ したがって、Xらについては、合意による基準変更の効力が生じている。
3.本判決の概要
これに対し、最高裁は概要以下のとおり判断し、原判決を破棄し、本件を東京高裁に差し戻しました。
・ 就業規則に定められた賃金や退職金に関する労働条件の変更に対する労働者の同意の有無については、当該変更を受け入れる旨の労働者の行為の有無だけでなく、当該変更により労働者にもたらされる不利益の内容及び程度、労働者により当該行為がされるに至った経緯及びその態様、当該行為に先立つ労働者への情報提供又は説明の内容等に照らして、当該行為が労働者の自由な意思に基づいてされたものと認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するか否かという観点からも、判断されるべきものと解するのが相当である。
・ Xらが、本件基準変更への同意をするか否かについて自ら検討し判断するために必要十分な情報を与えられていたというためには、Xらに対し、旧規程の支給基準を変更する必要性等についての情報提供や説明がされるだけでは足りず、自己都合退職の場合には支給される退職金額が0円となる可能性が高くなることや、Yの従前からの職員に係る支給基準との関係でも著しく均衡を欠く結果となることなど、基準変更によりXらに対する退職金の支給につき生ずる具体的な不利益の内容や程度についても、情報提供や説明がされる必要があったというべきである。
・ しかしながら、原審は、上記のような点に関する情報提供や説明がされたか否かについての十分な認定、考慮をしていない。
4.本判決について
⑴ 従前、最高裁は、労働者が賃金債権を放棄する場合や、使用者が労働者の同意を得て賃金債権を相殺する場合における「労働者の同意」の効力について、「労働者の自由な意思に基づくものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとき」は有効である旨の判断をしておりました(最高裁昭和48年1月19日判決、最高裁平成2年11月26日判決)。
本判決は、就業規則の退職金支給基準を不利益に変更する場合における「労働者の同意」の場面でも、上記と同様の基準で判断することを明らかにしたものとして、意義があるといえます。
⑵ また、本判決は、使用者と労働者間に情報格差があることを前提に、「労働者の同意」にかかる自由意思の存否の判断要素として、使用者から労働者に対して必要十分な情報提供や説明がなされていたかを考慮しており、この点も重要であるといえます。
この点、原判決においても、YからXらに対し、職員説明会で支給基準変更後の退職金額の計算方法の説明がされたことや、普通退職であることを前提として退職金の引当金額を記載した退職金一覧表の提示があったことが認定されていました。
しかし本判決は、これだけでは、支給基準変更に伴う労働者の不利益に関する情報提供・説明としては不十分であると判断しました。そして、自己都合退職の場合には支給される退職金額が0円となる可能性が高くなること等、労働者が被る不利益の内容や程度について、具体的に情報提供や説明をする必要があったと判示しております。
⑶ 本判決を踏まえると、賃金や退職金等にかかる労働条件の不利益変更に際し、労働者から有効な同意を得るためには、単に同意書を取得するだけでは足りず、労働者に対し、当該変更によりどのような不利益が生じるのか等の点について、具体的かつ詳細な情報提供や説明を行なうことが必要になるといえます。
また、立証の観点から、労働者に対する情報提供や説明の内容について、書面等により証拠を残しておくことが適切であるといえます。