将棋の棋譜利用に関する問題について ―盤面再現動画の削除を巡る裁判例(大阪地裁令和6年1月16日判決)を題材に―

法律コラム

将棋の棋譜利用に関する問題について ―盤面再現動画の削除を巡る裁判例(大阪地裁令和6年1月16日判決)を題材に―



弁護士 上田 倫史

 

将棋の棋譜利用に関する問題について

―盤面再現動画の削除を巡る裁判例(大阪地裁令和6年1月16日判決)を題材に―

 

1 はじめに

近年、藤井聡太竜王・名人の活躍などもあり、将棋がニュースなどで取り上げられることが増えましたが、過日、将棋の棋譜利用が問題となった訴訟の第一審判決がありました(大阪地裁令和6年1月16日判決。裁判所ホームページにも掲載されています)。私自身も、人知れず将棋を趣味として嗜んでいる1人ですので、この裁判例には非常に考えさせられました。以下、裁判例を紹介させていただきながら、棋譜利用に関する問題について紹介させていただきます。

 

2 裁判例の紹介

本件の原告は、いわゆるYouTuberにあたる個人で、将棋の実況中継などを有料動画配信している被告の会社の実況中継を元に、プロ棋士による対局(王将戦や銀河戦という公式棋戦における対局)時の指し手を、自身の配信動画において盤面図上で再現し、リアルタイム配信していました。これに対し、被告の会社が、原告による動画配信は著作権違反に当たるとして、YouTubeなどの動画配信サイトに削除申請を行ったところ、原告の配信動画は削除されました。これを受け、原告は、削除申請の撤回や動画削除によって失われた利益の賠償などを求めました。

この裁判では、被告が有料動画配信している棋譜(各対局者がどういう指し手を指したのかという情報)を原告が自らの動画配信において再現したことが、被告の「営業上の利益」を侵害するものかどうかが争点となりました。判決では、棋譜は「有償で配信されたものとはいえ、公表された客観的事実であり、原則として自由利用の範疇に属する情報であると解される」として、被告の営業上の利益は侵害されていないものと判断されました。その結果、判決では、被告の会社に対し、原告に対する損害賠償の他、動画配信サイトへの削除申請の撤回などが命じられました。

 

3 棋譜利用をめぐる実情について

しかしながら、この裁判例が示した見解は、各棋戦を主催している日本将棋連盟(全てのプロ棋士が所属している公益財団法人です)の見解とは相反しています。日本将棋連盟は、棋譜利用に関するガイドラインを設けていますが、その中で、各棋戦の棋譜については主催者(日本将棋連盟及びスポンサー)が独占的ないし優先的に利用する権限を有しており、主催の許諾の範囲を超えた棋譜利用は不法行為に該当するとの見解を示しています。

日本将棋連盟がこうした見解を採用している背景には、以下に述べるような実情があるように思われます(もっとも、以下の整理は、あくまで1人の将棋ファンである私の認識を前提にしたものであることをご容赦ください)。

(1) 棋戦の実施状況など

  • 多くの将棋棋戦は、新聞社をはじめとするマスメディアが主催者ないしスポンサーとなって実施されています。その中でも、タイトル戦と呼ばれる主要な棋戦の多くは、新聞社が主催者となり、日々の新聞の将棋欄の中で、自らが主催する棋戦の各対局を独占的に取り上げる形で実施されています。
  • とりわけ、インターネットが普及していなかった時代は、新聞の将棋欄を観る以外には、各棋戦の棋譜に接することが事実上できなかったため、新聞社と各棋戦との関係性は特に強いものがありました。昨今では、新聞社以外に各棋戦のスポンサーとなる企業が増えましたが、現在でも、全国紙をはじめとする主要新聞社は、各自が主催する棋戦を持っています。
  • 将棋のプロ棋士は、各棋戦における対局料や賞金を主な収入源としていますが、その原資は、主催者やスポンサーが負担しています。
  • こうした主催者やスポンサーとの関係もあり、日本将棋連盟は、プロ棋士同士の対局については、練習将棋であっても棋譜の公開を禁止しています。

(2) 対局の観戦方法

  • 現在、プロ棋士の対局を観戦する方法としては、従来からの新聞記事の他、①公式サイト上の棋譜中継、②インターネットテレビ上の将棋チャンネル、③主催者側のYouTubeサイト上での動画配信、④日本将棋連盟公式のスマートフォンアプリ、などがあります。
  • もっとも、これらの各媒体のうち、無料で観戦できるものはごく一部に限られており、具体的には、①はタイトル戦の番勝負などのごく一部の重要な対局のみ、②や③はチャンネル側が取り上げる一部の重要対局のリアルタイム配信のみ(過去動画の視聴は有料となっているか、一定期間のみアーカイブ配信されているケースが多い)が、無料観戦の対象となっています。こうした無料観戦の対象外である対局については、有料のサービスを利用する必要があります。

(3) YouTube上の実況動画・棋譜並べ動画などの配信状況

  • 近年、いわゆる「将棋系YouTuber」の中には、上記(2)の方法で閲覧できる棋譜情報(有料でしか観戦・確認できない棋譜を含みます)を元に、対局者の指し手を自らの配信動画上の盤面図において再現している(併せて、その盤面図をAIに評価させた結果を画面上に表示させている)方が少なからず見受けられます。こうした配信動画の中には、日々の対局情報をリアルタイムで追いかけて再現しているもの(実況動画)や、既に終わった対局の指し手を整理して再現しているもの(単に棋譜を並べるだけの動画もあれば、棋譜を元に独自の解説等を加えている動画もあります)があり、こうした動画を見れば、上記(2)の方法によらなくとも、その対局の指し手を視覚的に確認することができます。こうした動画は、重要な対局や、人気の高い棋士が登場する対局であれば、視聴者数が多くなる傾向があり、こうした対局であれば、上記(2)の②や③で無料観戦が可能な場合であっても、相当数の再生がなされています。
  • (私自身がまさに該当するのですが)将棋のことがある程度分かっているファン層からすれば、こうした配信動画を見れば、自分が観戦したい対局の進捗や結果などを確認することができますので、本来であれば有料のサービスを利用しなければ観戦できない対局を、少なからず楽しむことができます。この点、将棋とスポーツを比較しますと、スポーツの観戦の場合は、試合の経過を文字だけで追いかけるだけでなく、プレーする選手の動きなどを映像で観ることに醍醐味がありますが、将棋の場合、対局者の所作自体にはそれほど意味がなく、個々の指し手にこそ決定的な意味合いがあるため、棋譜の再現動画さえ見てしまえば、それで満足できてしまえる側面があります。
  • 日本将棋連盟や各棋戦の主催者であるスポンサーは、棋譜利用に関するガイドラインの中で、こうしたYouTube上での棋譜利用につき主催者側の許諾を求めており、動画配信者に対して、所定の手数料の支払いを求めています。しかしながら、私が個々の配信動画などを観て確認している限りでは、所定の手数料を支払い、主催者側の許諾を得た上で動画配信を行っているYouTuberは少数に留まっているようで、とりわけ、今回の大阪地裁の第一審判決があってからは、ますますこうした傾向が強まっているように思われます。

 

4 今回の裁判例の考察・私見

今回の裁判例の中でも、被告側は、棋譜利用に関するガイドラインを根拠に、原告による再現動画の配信は、フリーライド(ただ乗り)で広告収入を得るものである旨を主張していました。しかしながら、大阪地裁は、ガイドラインは主催者側が一方的に定めたものであり、原告に対して法的拘束力を生じさせるものではないとして、被告の上記主張を退けています。もっとも、今回の裁判例は、動画配信をしている将棋チャンネルの運営会社のみを被告とするものであり、日本将棋連盟やガイドラインを策定した棋戦の主催者は当事者ではなかったこともありますので、棋譜利用に関する法的問題について、大阪地裁の判断をどこまで一般化して良いかについては、慎重になるべきかと思われます。

法的に考えますと、ガイドラインに法的拘束力が認められないのはその通りだと思いますし、棋譜利用が自由に認められた方が、より多くの人が将棋を制限なく楽しめるようになり、結果として将棋界の発展にも繋がるのではないかとも思われます。

他方で、棋譜利用が際限なく認められてしまえば、フリーライドによる動画配信やそれを通じた棋戦観戦が一層増え、それにより、日本将棋連盟、主催者、スポンサー、将棋チャンネルの配信事業者などの収入が減少してしまう可能性もあるように思われます。上記3で整理した実情を踏まえますと、今回の大阪地裁の見解が一般化されてしまうのであれば、日本将棋連盟や各棋戦の主催者・スポンサーは、各棋戦の収益構造そのものを再検討せざるを得ないようにも思われます。

また、現状では、棋譜利用に関するガイドラインが宙に浮いたような状態になっており、ガイドラインを誠実に遵守しようとするYouTuberが一番割に合わない立場に置かれているように思われます。

弁護士としても、1人の将棋ファンとしても、非常に難しく思っているところですが、個人的には、無制限に棋譜の自由利用を認めるのではなく、一定の範囲では主催者側に優先的な権限を認めるべきとの私見を持っています。少なくとも、棋譜を並べるだけのような露骨なフリーライドは排斥されてしかるべきでしょうし、適正に手数料を支払って棋譜を利用しようとするYouTuberが増えていくよう、ガイドラインの改訂も含めた環境面の見直しなどが望まれるように思っています。